--- title: "夏の公死園" date: 2023-08-28T14:52:18+09:00 draft: true tags: ['novel'] ---  全国高等学校硬式戦争選手権大会の準決勝、帝國実業と報国学園の試合は佳境に入っている。十名いる選手のうち六名がすでに仮想体力を喪い退場を余儀なくされ、残る四名が市街地を模した公死園戦場の各所で互いに隙をうかがっていた。帝國実業三年の主将、葛飾勇はこの時、唱和八九式硬式小銃に装着された弾倉が最後の一つだった。地道な基礎練習を怠らない生真面目な性分が功を奏して彼は残りの弾数を正確に把握していたが、同時にそれは自身の劣勢を否が応にでも自覚させられる重い錨となってのしかかる。最悪の場合、たった九発の銃弾で残る四人の敵を倒さなければならないのである。  相対する唱和高校の戦いぶりは堅実であった。むやみに弾を浪費して一か八かに賭けるくらいなら潔く負けを認めて予備弾倉をその場に残していく。準決勝でもやり方は変わらないだろう。つまり、四人の敵の弾薬は未だ豊富であって正面での撃ち合いではまず勝てる見込みがない。ゴムでできた硬質弾をしこたま食らって血まみれになっても、本人が直立しているかぎりにおいて戦場に立ち続けられた昔とは違う。現行の仮想体力制では胴体に四発ももらえば確実に即退場だ。  勇は壁伝いに歩いて近場の建物の中に忍び足で入った。戦場をまばゆく照らす照明から逃れて部屋の陰に座り込んで身を落ち着ける。通信機で仲間との交信をしたいところだが、仲間の状況が判らない以上はうかつに音を鳴らすわけにはいかない。同様に、彼自身もまた不用意に声を発すれば位置を補足される危険性を伴う。  だだだだ、と硬式小銃特有の低い銃声が聞こえた。さらに遠くでは、わああっ、と観客の歓声が波のようにこだまする。敵か味方か、どっちかがやられたらしい。観客席から見える大型の液晶画面からも、試合を中継しているテレビでも、勇たち選手の仮想体力は常に表示されていて、残り何発持ちこたえられるのか、何発撃てるのかなどが把握できる仕組みになっている。さらには複数の望遠カメラが刻一刻と変化する戦場の様子を捉えて、選手たちのここ一番の勇姿を映し出す。帝国中の臣民が関心を寄せる公死園の準決勝ともなれば、その視聴率なものに違いない。  勇はあまりの緊張に息が詰まりかけた。監督の助言を思い出す。音を立てず、目を見開いて、腹の底で深呼吸を繰り返す。見開いた目の先に、標準戦闘服の胸元に刺繍された帝國実業の校名が見えた。彼はだんだんと気持ちが静まっていくのを感じた。一転、目をすぼめて腰を落とした状態で建物の上階へと上がった。  ここに入った理由は戦場を俯瞰するためだった。通常、背の高い建物は取り合いになるが序中盤の戦いで各方に敵味方が散った現状では、かえって忍び込みやすい状況に変化している。弾数で優勢を誇る敵方は鉢合わせになる危険を懸念して、平地で安全に集合して制圧を仕掛ける腹積もりなのだろう。  一方、ろくに連絡も取れず銃弾も心許ない勇たちは一発逆転を目指すしかない。狙うは応射の難しい遠方から頭部への一撃だ。例外なく一発で仮想体力を奪い去ることができる。上階にたどり着き身を伏せた姿勢から窓をゆっくり除き込む。狭い視野でも戦場の概観が眼前に広がった。やや遠くに戦場を左右に貫く二車線道路が見える。手前には商店街を模した背の低い建物が並んでおり、こちら側に近づくにつれて建造物は住宅地の気配を帯びて密度が高まる。道路の向こう側には朽ちて荒廃した街並みが再現されている。当然、斜線が通りやすいそこに味方がいるとは思えない。だが……。  硬式小銃の倍率照準で覗いたその先に、敵が崩れた建物の壁で小休止をとっている敵がいた。生き残りの四人がまとまって周囲を警戒している。予想通り、弾薬を温存した彼らは面制圧で押す方針に固めたようだった。勇はドーランを塗った額から目元に垂れる汗を拭って、そっと小銃を窓枠に立てかけた。  理想は一人一発で四人、現実的な見立てでも二人は仕留めたい。照準の向こうに映る四人のうちでもっとも動きの少ない一人に狙いを定めた。赤い点が敵の足元から腰、腰から胸、そして頭へと這うように移動して、勇の息が落ち着くにつれ左右のぶれが収束する。引き金の指をかける。敵はまだ動かない。  彼は息を深く吸った後に、引き金を絞った。  直後、拡大された視界の向こうで一人が側頭部に硬式弾を食らって昏倒した。判定するまでもない完全な退場。残る三人が振り返る――銃声と照準の逆光からこちらの位置を把握するまでにわずか二秒――二人目の頭部に合わせて放った銃弾はそれて肩口に命中した。相手は顔をしかめて体を壁に打ち付けたが、まだ退場ではない。  ひゅん、と風邪を切る音が聞こえた。続けて窓の外壁に衝撃音が走る。相手はすでに応射を始めている。あと数秒も余計に撃ち合えば今度はこちらが頭部を抜かれるに違いない。結果には不満足だが撤退を考慮して窓枠から引き下がろうとしたその時、勇の拡大された視界に信じられない光景が映った。  崩れた建物の壁、彼らが拠り所としていた遮蔽物の裏から一人の味方が飛び出してきたのだ。あれはユンのやつだ。手にはほとんどの選手が装備品に選ばない模擬軍刀の丸まった刃が光っている。ゆうに二〇〇メートルは離れたここまでも彼の絶叫が耳に入った。一発で敵を退場させられる方法はもう一つある。模擬軍刀による急所命中判定だ。 「あの馬鹿!」  勇はもはや体に刻んだ基本動作を放棄して窓枠にかじりついた。覗き直した照準の先では、巧みに軍刀を振り回すユンと敵が入り乱れている。これでは援護のしようがない。しかし、わずかに遅れて彼の耳に届いた絶叫が意味のある言語として認知された。 「……てーっ! うてーっ!」  彼方の味方は自分ごと敵を撃てと伝えていたのだ。  一人を斬り伏せ、もう一人に斬りかかったユンはまもなく、後退して距離をとった二人の硬式弾をしこたま浴びて倒れ込んだ。入れ違いに、勇の速射がまばらに二人の胴体に命中した。同時に、弾切れを知らせる撃鉄音が響く。  試合終了の笛が鳴った。どうやら今ので相手の仮想体力をなんとか削りきったらしい。  こうして、全国高等学校硬式戦争選手権大会の準決勝は帝國実業の勝利に終わった。 ---  応援に駆り出された同級生や待機していた地元の後援会に足止めを食らいつつも、急ぎ医務室に向かった勇はベッドに腰掛けるユンの姿を認めるやいなや声を張り上げた。 「ふざけんなよお前、なにやってんだ」  ユンは腕や胸に巻かれた包帯を勲章のように見せびらかしたが、一番目立っていたのは根元から失われた前歯だった。ここ数十分のうちに止血は済んだようだが痛ましい姿に変わりはない。 「ふざけてねえよ、ちゃんと勝っただろう」  岩のような巨躯のユン・ウヌから見た目通りの野太い声が弾き出される。 「あんなの運が良かっただけだ。鏡見ろよ。もしやつらが慌ててお前に全弾ぶっ放してたらどうするんだ。もし、一発の硬式弾でも目に入ったら――」  ユンはくっくっと不敵に笑った。このいかつい男に堂々と俺お前で物申せる同級生は勇くらいしかいない。 「そうしたら、めでたく”公死”ってことになるだろうな。公死園ってそういうことだろうが。戦場で華々しく散れるのなら本望だ」 「死ぬなら決勝が終わってからにしろよ」  ぬうっとユンの丸太のごとく太い腕が勇の肩に添えられた。たっぷりの痛罵を浴びせても彼はちっとも懲りていない様子だった。 「真面目な話、お前だったら絶対に高台を獲りにいくと思ったんだ。おれは弾倉がほとんど空だったし、あの状況で装備を活かそうと思ったらあれしかなかったんだ」  勇は肩の手を払いのけた。 「だが危険すぎる。お前のその歯はどうするんだよ。差し歯どころか歯医者に行く金もないくせに」 「公死園決勝と引き換えに前歯一本なら安い代償だな」  悪びれもせずにユンはごつごつした顔をニイッと歪ませて歯抜けの笑顔を晒した。  その後  閑散とした部屋で監督と二人、年嵩でもユンに負けず劣らずの恵体を持つ彼が険しい目線を勇に向けること一分弱、目上の者に向かって先に口を開くのは憚られるゆえ頑なに沈黙を守っていたが、秒を追うごとに吉報ではない確信がどんどん増していった。ようやく重苦しい声音で監督が放った言葉は彼を動揺させた。 「勝ったには勝った。それはめでたい。だが勝ち方がよくなかったな」  ユンのことだ、と直感した。 「はい。自分も彼にはよく言って聞かせました。あれは危険すぎると――」  だが、監督は厳しい顔を左右に振って制した。 「そうじゃない。逆だ。なぜ、主将たるお前があのような勇姿を公死園で見せられなかったのだ」 「は――いえ、しかし――」  予想外の詰問に勇は声が淀んだ。軍刀なんて装備するくらいなら予備弾倉を一個多く持つ方がいいに決まっている。あれは相当近づかないと使えない上に急所判定でなければ一撃必殺にならない。言い訳は山のように湧いたがどれも監督の期待する答えとは違っているような気がした。 「すいません。自分も軍刀を装備すべきでしょうか」  代わりに、質問に形式で答えた。 「いや、そうは言っていない。別に軍刀でなくてもいい。だが、誉れ高き公死園の戦場で華々しい成果を上げるのは、ユンではなくお前であるべきなのだ」 「というと……?」  勇には監督の言っている含意が解らなかった。あれこれ言ってもユンは立派な戦績を持つ副主将だ。先の行動の通りやや独断専行気味のきらいはあるが、とにかく文句なしに強い。強くなければ強豪の帝國実業の前衛は務まらない。一対一の模擬戦では、主将の勇も近距離戦では一度も勝った試しはない。 「やつは外地人だ」 「え、違いますよ、両親も祖父母も帝都に住んでいます」  監督があまりにも的はずれなことを言ったので、反射的に否定の言葉が口を衝いて出た。どんな状況であれ目上の者の意見を否定するのはとてつもない無礼に値する。はっ、と息を呑んで監督の顔を見ると、案の定、その表情は厳しさを増していた。それでも監督は若干の間を置いて、今度ははっきりと言い直した。 「そういう意味ではない。大和の血統ではないということだ。あいつは朝鮮人だろう」  勇はすっかり虚を突かれて言葉を失った。それをどう受け取ったのか定かではないが、勢いを取り戻した監督はさらに話を続けた。 「別に朝鮮人や支那人が選手にいようと構わん。強ければ入れるし弱ければ捨てる。それは日本人とて同じだ。だが、この晴れ舞台、公死園の大詰め、ここ一番という時に脚光を浴びるのは、われわれ日本人でなければならん。それがお前の義務だ」 「しかし、自分としては――分隊としての役割、分隊としての勝利――そういうものも、あるかと愚考いたしますが――ユンの剣戟もそれはそれで戦略の価値ありかと――」  理に反する都合を突きつけられて、なおも必死に弁明を繰り出す勇であったがそれが火に油を注ぐ行為でしかないのは目に見えていた。しかしそれでも、ついさっきまでは他ならぬ本人に罵声を浴びせていたのに、どういうわけか今ではすっかり擁護してやりたい気持ちでいっぱいになっていた。 「では、あのユンに錦を飾る栄光をくれてやるというのか。朝鮮人のあいつにか。寛大なことだ。そうやっていつまでもつるんでいられると思うな。所詮は別の民族なのだ。それはそれとして――」  唐突に監督の拳がすさまじい速度で勇の頬に叩き込まれた。いつもと違って意表を突かれたために彼は姿勢を崩して地面に尻をついた。遅れてやってくる鋭い痛みを上塗りするように、仁王立ちの監督が見下ろす眼差しで告げる。 「上官への言葉遣いには気をつけろ。お前は二回も口ごたえをした。決勝進出に免じて精神注入棒は勘弁してやる。だが、その頬の痛みはやつを擁護する割に合うのかよく考えておくんだな」