--- title: "魔法少女の従軍記者" date: 2024-02-11T19:48:05+09:00 draft: true tags: ['novel'] ---  その少女は前線基地の会議室に舞い降りてやってきた。いや、舞い降りたという表現はいささか上品にすぎる。今日は作戦指揮に関わる国連軍の将校や事務方の重鎮、その他の民間関係者、そして我々のような記者が一堂に介する最後の場――あけすけに言ってしまえば、これまで丹念に積み上げてきた法的手続きが実る瞬間――ついに果実として収穫できる日だった。  そこへいきなり基地の天蓋を突き破って直接部屋に突っ込んできたのが彼女だ。当然、我々はカメラのシャッターを盛んに切りまくって応じる。戦闘機の爆撃にも耐えうるように設計された最新の3Dプリンター基地を秒で破壊せしめた彼女が、一体最初になにを言うのか、そもそもなんでそんなだいそれた真似をしでかしたのか、我々報道陣は撮影もほどほどに固唾をのんで見守った。実際、軍人としての彼女の性格は多くが謎に包まれている。 ”こんな安普請の基地で本当に守りを固めているつもり? もっとちゃんとしなさいよ” ”3Dプリンター工場による大量生産物は明らかに自然破壊の大きな要因であり、抗議としてのデモンストレーションを……”  正直、なにを言ってもらっても構わない。どうであれ絵になる。彼女の影響力は国家元首にも匹敵する。プランAからZまで、どんな内容であっても我々がしっかり英雄に仕立てあげて見せる。上へ上へぐんぐん伸びていく株にはぶら下がっておくのが得策だ。  しかし、私が予想していたどの台詞とも異なり、彼女は長いブロンドの髪の毛をわたわたとたくしあげてこう言った。額に汗を滲ませ、等身大に焦りを見せる様子で。 「今、何時何分? たぶん、ギリ遅刻じゃないと思うんだけど」  結論から言うと、彼女が基地を破壊して会議室に突っ込んだのは午前八時五九分、五五秒。遅刻五秒前だった。  これが、私の今回の取材対象だ。本作戦の要、国連軍指定魔法能力行使者、PR上の都合で我々が「魔法少女」と呼んでいる人物との初めての出会いだった。 ---  最後の会合は割にあっさりしたものだった。法的手続きを神に置き換えることに成功した我々は「西暦二〇三六年七月二〇日、国際連合安全保障理事会決議一六七八に基づき、新たに魔法能力行使者による戦闘行動を認める。」と将校が告げた言葉に神託を見出し、例の彼女が合意を示したと同時に殺戮が合法化された事実を受け入れられるのだ。  砂塵嵐の吹き荒むかの地に屹立する未承認国家TOAは、あとちょうど半年で自称建国二〇周年を迎える。皮肉にもその直前で滅亡を迎えることは、当の彼らも今ではそろそろ受け入れてつつあるだろう。もともと無謀でしかなった革命政権の樹立がここまで息を保っていられたのは、ひとえに人権意識の高まりや、常任理事国の承認の遅れ、近隣諸国の内政事情などがたまたまもつれたからに過ぎない。  読者諸兄もご存知の通り、三年前にようやく前述の「国際連合安全保障理事会決議一六七八」が採択され、たちまちかの地は月面が嫉妬するほど大小のクレーターが穿たれるに至った。例によってひとたび神託を受けた我々は数百台の戦略爆撃機の下でどれほどの人間が臓腑を撒き散らそうが、スターバックスの新商品ほどの関心も持たなくなる。圧倒的物量の前にTOAの民兵組織は総崩れ、後は連中の指揮官が窓際にでも現れるのを待って頭をぶち抜けば一件落着に違いなかった。  しかしある時、突然に状況が変わった。TOAは奥の手を隠し持っていたのだ。一体どこで拾ってきたのやら、どの国にも未登録の魔法能力行使者を使って堂々と抗戦を開始せしめた。かの地に住まう人々を気にかける数少ない良心的進歩派(ここで両手を掲げて二本の指をくいくいと動かす)も、この件を皮切りにあっさり手のひらを返した。こちらの戦死者の数が急速に増えだしたからだ。  批判を受けた国連軍はさっそくすべての爆撃機を無人機に切り替えて地上軍の展開を中止したものの、何百マイルも離れた安全な場所でコーヒー片手に操縦しているデスクワーカー空軍兵士が勝てる相手ではない。一基何万ドルもする無人機は出すたび出すたび塵と化して消えていった。どうやら連中が手駒にせしめた魔法能力行使者は大道芸人崩れで終わるような半端者ではないらしい。いわゆる戦略兵器等級の魔法能力行使者だ。(以下、戦略級魔法能力行使者と呼称)  こうして国連軍が手間暇をかけて端っこからちまちまと削り取ってきた解放地域はみるみるうちに押し戻され、状況はすっかり元通りになった。不思議なことにあらゆる物体と金銭が文字通り露と消えたのに、こんな状況でも大儲けをしているやつらがいる。一体どういうカラクリなのか、日々真面目に対立を煽って日銭を稼いでいる身分の私にはまるで見当がつかない。  さて、当然、もはや状況は常人の手に負える段階ではない。国連軍としても対等の魔法能力行使者を派兵するのが筋だ。ところが、記録の残るかぎり各国に正式に登録されていて、かつ軍事訓練を受けており、実際の戦闘経験も持ち合わせた魔法能力行使者はまったくいなかった。およそ成年手前で例外なくピークを迎えて、以降は衰える一方の魔法力は常備常設を良しとする近代的軍備の観点にまるでそりあわない。  それでもロシアをはじめとする東側諸国にはぼちぼちいるそうだが、貸してくれといって借りられるようなら苦労しない。仮想敵国から戦略級魔法能力行使者をレンタルするなんて核兵器のデリバリーサービスよりもハードルが高い。月にロケットを送りこんだAmazonにも不可能なことはある。  結局、最後の頼みは我らが合衆国軍だった。だいぶ衰えたとはいえ今なお最強の軍勢を誇ると知らしめたい彼らは、五年前からずっと大量の派兵協力をしているし、言うまでもなく戦死者の数も飛び抜けて多い。虎の子の魔法能力行使者を送り出すなどまともな民主主義国家なら絶対に民意が許さないだろうが、アメリカ合衆国の国民は乗り気そのものだった。そういうわけで、今回のジョイントミッションが実現したのである。 「メアリー・ジョンソン……大尉とお呼びした方が?」  劇的なイベントの後に殺到した記者がはけた後、コーヒーと名刺を同時に差し出しながら私は軽妙に尋ねた。あんなふうに我先と詰め寄る記者はトーシロ同然だ。取材される当人からしたらみんな同じ顔に見えてなにも印象に残らない。応対だって機械的にならざるをえない。話しかけるなら一番最後。最低でも三〇分は空ける。経験に培われた私の流儀だ。案の定、ティーンにそぐわないいかつい階級章をわざとらしく持ち出したことで、彼女はふふ、と苦笑いをした。 「冗談みたいよね。大尉になったのってほんの数日前なのよ」  指揮系統に彼女を組み込む都合上、どうしてもそれなりの地位を与える必要性があったのだろう。小隊長程度の命令に左右されるようでは並外れた戦闘能力をいかんなく発揮できないし、かといって高級将校に堂々と楯突かれては作戦遂行の妨げになる。大尉相当官として扱うのは理にかなっている。 「じきにあなたの飼っている犬も少尉になりますよ」  笑ってくれた。いい感じだ。著名人のInstagramはこまめにチェックしておかないといけない。以前は本当に面倒くさかったが、今時は手頃なプランの機械学習ツールにまとめて投げればイヤフォンで文字起こしの要約が聞ける。 「ところで、ついさっきまではロサンゼルスにいましたよね。そっちでも記者連中に捕まっていたので?」 「そうね、映画の出演者インタビューに出てて」  彼女が目配せをする。当然知っているんでしょ、とでも言いたげだ。まだ五秒足らずのフッテージしか出回っていない作品だが、もちろん知っている。業界関係者の知人から第二次世界大戦で辛い役目を背負わされた魔法能力行使者の話だと聞いた。珍しく親が俳優でも富豪でもインフルエンサーでもないのに公募のオーディションからじわじわと登り詰めてきた彼女の、初の主演作品だ。 「ええ、やっぱり空を飛ぶシーンとかは自分の魔法でやるんですか?」 「意外にそうでもないわ。CGの方がリアルに見えるって変よね、でも画面で観ると本当にそうなの」 「あなたの世代からすると変に聞こえるでしょうが、一昔前はドイツの話を撮りたかったら本当にドイツに行ってたんですよ」 「まあ、私ひとりだけならそんなに面倒じゃないわね、なんて」  そんな一介の女優でしかない彼女が、どういうわけか合衆国政府に登録されている最上等級の魔法能力行使者で、そのために出動を要請する召集令状が下されたのは果たして幸運だったと言えるだろうか。映画の興行収益はすでに確約されたようなものだ。  実在の軍人の役を演じる女優が、本当に軍人となって戦争に赴く――どこぞの出版社に提案したら「話ができすぎている」と即ボツを食らいそうなあらすじとはいえ、しかしこれはまごうことなき現実である。世論は大いに湧いた。いかに無敵に等しい戦略級魔法能力行使者であっても、無垢な少女を戦争に駆り出すのはどうなのだ、ともっともらしい道徳論を説く者があれば、しきりに言葉尻を捉えて無垢な少女だと良くないのか、じゃあ素行不良の少年なら構わないのかといった反論が打ち出され、少女性をことさらに重要視するのはセクシストだしエイジズムだとの論陣が張られた。  そうは言ってもおっさんだったらどうせ誰も気にしないのだ、真に弱いのは女子どもでも障害者でもなく五体満足の中年男性だ、という意見がSNS上で万バズを獲得し、対して国家が強制的に戦争に駆り出させるなどそもそもが言語道断との進歩的見識が各メディアに並ぶも、西側諸国でもなにげに徴兵を実施している国々には都合が悪く言葉を濁さざるをえない。そうして喧喧諤諤にやり合っているうちに誰も彼も飽きはじめて、もう本人が決めればいいじゃん、それが民主主義であり自由主義国家の姿だろう、みたいな粗雑な結論が持ち出される始末。かくして、西側陣営を占める十数億人の責任は選挙権すら持たないたった一人のティーンエイジャーに丸投げされたのだった。  世間は彼女が招集に応じるかどうかおよそ半々と見ていたが、女優のキャリアを保てるスケジュールを条件に割とあっさり合意した。その日、各国の酒場では徴兵拒否に賭けていた方の札束が宙に舞ったという。彼女は自らに課せられた一年間の軍事教練もきっちりこなしたので、途中で逃げ出す方に賭けていた方も遠からず私財をなげうった。  今のところ、なぜ戦争に行くのかという肝心要の質問には曖昧な回答を繰り返している。愛国心がどうとかなんとか、みたいな話も彼女の世代では今時やりづらいだろう。そんなダサいことを言ったら一日の間にフォロワーが七桁は減る。もっとも、今となっては数億人のフォロワー数を誇る彼女にはどのみち関係がなさそうである。いずれにしても、理由は分かっていない。若い世代を代表するアイドルであり、女優であり、兵器であり、広告塔でもある彼女の本心は謎に包まれている。  もし、そいつが掴めたら私もしがないフリーライターから脱出できるのだが。 「ところで、ジョン・ヤマザキさん。あなたは日系人?」  不意にエスニックな出自を聞かれて少々たじろいだ。そういうセンシティブな質問をされたからには多少は打ち解けているのかもしれない。 「おや、多少はフランクにいっても良さそうな雰囲気かな。たぶん、まあ、そうだろうと思うよ。途中で色々混ざってはいるけどね」  なぜか知らないが私の両親も、さらにその上の両親も、ヤマザキという名字の語感を気に入っていたらしい。ある上等なウィスキーと同じだからとかいうふざけた理由を聞かされた時には呆れかえったものが、ライター稼業を始めてからは両親にも祖父母にも、私の遺伝子の元となった最初の日本人にも毎日感謝を捧げている。この名字は相手に覚えてもらえやすいからだ。これがもしジョン・スミスだったら話している最中にも忘れられかねない。  と、いう話をさっそくしてやったら、目の前のメアリー・ジョンソンは初めて年齢相応に顔をくしゃりと丸めて大笑いした。いいぞ、流れは確実に私に来ている。今なら彼女の生理周期さえ教えてもらえそうだ。 「ところで、私が日系人だとなにか特別に教えてもらえることがあるのかな」 「私が着る複合素材スーツ、スポンサーの都合で日本のアニメがモチーフらしいの。なにか知ってるかと思って。おかしいわよね、これから戦いに行くのに」  全然知らない上にどうでもいい話題だったが私はあくまで歩調を合わせた。 「なんでも金に替えようとみんな一生懸命なのさ。だから無人機のカメラも常にストリーム配信されているし、そこでの投げ銭や広告収入が国連軍の活動資金になっている。君のそのなんとかスーツにもボディカメラがついているだろう。今はなにもかもがコンテンツなのさ」  すると、彼女が途端に押し黙ったので、私はしまった、と強く後悔した。うら若き少女には不適切な表現だったかもしれない。それともこれはあれか、マンスプレイニングってやつか。ストリーミングでなにが流行っているかなんて大人の私より彼女の方が詳しいに決まっている。  幸いにも、彼女は私のせいで抑うつ気味になったわけではなかった。ただ、うつむいて絞り出すようにして言ったのが印象深い。 「そうね……分かってる。みんなが色々考えて、私でお金儲けをしたいのも、なにかやろうとしているのも。でも、私しか彼女を止められないんだ」  そこへ基地内に放送が流れて、国連軍の事務方による重要な会見が行われるとの告知が知らされた。こういう局面でかけるべき言葉を探さずに済んだのは運が良い。 ---  会見の内容は淡々としていた。まず、展開が中止されていた地上軍が再編されて一個中隊規模がかの地に投入されるという。圧倒的に強いとはいえやはりいたいけな少女を一人で戦地に向かわせる構図に広報担当経由でなんらかの改善要求が入ったのか、急きょ事実上の随伴歩兵をあてがう形を作ったらしい。味方の死傷者を増やしたくないから展開が中止されたのに、ここへきてそのリスクを元に戻したがるとは世間様の考えはつくづく理解不能だ。とはいえ、各SNSの感情解析データはどれもこの発表直後五分以内において良好な数値を指し示している。  次に、今回の作戦をスポンサードしてくれた各国企業の紹介と宣伝。一社あたり二分足らずとはいえ参画企業がかなり多かったのでだいぶ時間がかかった。防具となる複合素材スーツを提供している日本のメーカーはスポンサードにスポンサードを重ねているみたいで、デザインの仕様が協賛関係のためにテレビ局の意向を汲んでいると説明していた。さっそく件のスーツを着て現れた彼女が、百マイル先からでも視認できそうなビビットな色彩をまとっていたのはそのためだ。会見中に調べてみたら、タイアップしているアニメキャラクターの画像が出てきた。大勢の前で笑顔を振りまく彼女とは似ても似つかないが確かに衣装の見た目はよく似ている。  実際、彼女が敵から発見されようがされまいが、スーツが本当に防具として機能しようがしまいが大した差はない。M1エイブラムス戦車の主砲が直撃しても無傷でいられる不滅の身体は広告にはうってつけだ。銃撃を受けて破れない程度に頑丈であればいい。そういう事情もあって、彼女のビビットなスーツにはスポンサード企業のロゴが所々に刻まれている。まるでF1レーサーみたいだ。よく映る上半身の方ほど協賛金も大きいのだろう。  続けて、作戦の収支報告が行われた。無人機のストリーミング配信はなにげに馬鹿にならない利益を上げていたがそれでも累積赤字を埋めるほどには至っていなかった。そこで、今回は随伴歩兵のボディカメラでもストリーミング配信を行って収益を改善させるほか、VRコンテンツを開発している各企業に三次元データを販売するとのことだった。ついでに、歩兵の心拍や表情の動きなども常時モニタリングして関連業界のスポンサード企業に提供される計画になっている。  こうして得られた収益の一部は資金運用にも用いられ、それ自体も再販可能な債権として売り出される。主に再販を手掛けるのはもちろんスポンサード企業に名を連ねている銀行や証券会社だ。かつてSDGsという持続可能性や資源の再利用を象徴するフレーズが流行っていたが、今回の作戦はまさにそれの鑑と言えるに違いない。骨にこびりついた肉の一片をも丁寧にしゃぶりつくし、骨からも出汁をとるような心構えには感服せざるをえない。さっそく市場を見てみると、スポンサード企業の株価が軒並み上昇していた。  ここまで順調に進んでいた会見は、話し手が将校に変わったあたりで途端に雲行きが怪しくなった。「急な話で申し訳ないが今回は報道各社の皆さんにもご協力を仰ぎたい」その一言で今までコンテンツを中継する立場でしかなかった我々の座席に、さあっと視線が投げかけられた。  突然の話に我々一同困惑を隠しきれずにどよめいていると、将校が有無を言わせない朗らかな態度で話しはじめた。 「今回、主要スポンサード企業からの強い要請を受けて、国連軍指定魔法能力行使者、つまり、メアリージョンソン大尉のコンテンツ化をより促進させる方針を固めました。つきましては、彼女を撮影取材する従軍記者を募集したい」  まるでそれぞれの言葉が細切れに分かれたワードサラダみたいに聞こえる。周囲のざわつきが臨界点に達した後、たまらず誰かが挙手もせず発言をした。 「先ほどの説明では歩兵にボディカメラがついているのでは」  しかし、将校の返答は明らかに予想問答を経た淀みのないものだった。 「各兵士の撮影映像はコンテンツの趣旨が異なるので彼女を主に映し続けるわけにはまいりません。それから――」 「あの魔法少女にもカメラがついているじゃないか」  また誰かが将校の発言を遮ってしゃべったが、彼が無言でひと睨みすると黙った。一瞬で笑顔に舞い戻った将校が話を続ける。 「それから、ちょうど今ご指摘があったように、メアリー・ジョンソン大尉のボディカメラは彼女の視点をコンテンツ化するものであって、彼女をコンテンツ化するものではございません。以上の理由から、彼女と共に行動して撮影する専従の要員が求められているのです」  今度は他の記者が丁寧に挙手をした。指名を受けて立ち上がった記者は大手新聞社の社名を名乗ってから質問をした。 「なにも生身の人間が撮影しなくてもドローンなどで撮影すればよいのでは」  もっともな意見だ。報道陣も一様に頷いて見せる。だが、将校の切り返しはすばやい。 「皆さんも承知の通り、かの地のインフラ設備は十二年遅れています。衛星経由で操縦できない装置に役割を委ねるわけにはまいりません」  そうだった。TOAの支配領域内は未だに旧式の5Gネットワークがそのまま使われている。互換性は保たれているためストリーミング配信程度なら問題ないが、軍事に関わる重要な通信はすべて携帯型の衛星ネットワーク設備を経由していう。言うまでもなくドローンの操縦は後者に該当する。自動操縦の技術はまだ信頼度が低い。  これらすべてを解決しうる技術を開発するために今さら余計な時間と費用を投じるくらいなら、そこらの記者を一人捕まえて戦場に投げ込んだ方が経済的合理性に適うだろう。言われてみればその通りだ。  おおかた、報道陣各位が同様の結論に至ると会場内は静かになった。そこで将校が繰り返し尋ねる。「では、誰か、ぜひ立候補を。録画や取材で得た内容は我々に提供してもらいますが、各自そちらの方で自由に使って構いません」  突如もたらされた破格の条件に、何人かの記者が颯爽と起立した。その顔ぶれを眺めると、いかにも毎日筋トレを欠かさずやっているような血色の良い白人男性ばかりが視界に入る。逞しく筋骨隆々で顎もシャープ。それでいて有害な男らしさはみじんも見せず、デカいくせにむしろコンパクトな印象を受ける。そして、顔にはお決まりの最新スマートグラスだ。「男性2.0」の理想像がショーウインドウされているかのようだった。彼らは決して政治的に間違えない。顔にへばりついているメガネが「正しい会話」の例を逐一サジェストしてくれるからだ。私の稼ぎでは本体代こそなんとか出せても機械学習ツールのサブスク料金は払えない。彼らはどうせ会社に払ってもらっているのだろう。  私は割と聞こえるくらいの音量で舌打ちをした。ここまできて計画が台無しになってしまった。  今回の作戦をつつがなく終わらせた彼女に後で正式な取材を仕掛ける予定だったのに、スマートグラス装備の完全無欠な白人男性様の記者が半日も張り付いて回られたら打つ手はない。この中にいるラッキーな誰かは日が沈むまでにメアリー・ジョンソン大尉の専属記者に成り上がって、彼女についてのありとあらゆる情報を独占していることだろう。その頃には私の名字がヤマザキだったかタナカだったかなんてどうでもいい話になっている。  くそっ。私はまた舌打ちした。AIとは名ばかりのマルコフ連鎖風情に舌打ちのニュアンスが理解できるならやってみるがいい。一回目はやつらに対して、二回目は自分に対してだ。  しかし彼らはただ落ち着いた佇まいで事の推移を見守っていた。将校は満足げに微笑んで言う。 「では、立候補して頂いた方から直ちに選考に入らせてもらいます。選考結果は――」 「待って。一ついいかしら」  またぞろ将校に横槍が入れられた。彼はなにかと会話を遮られる定めにあるらしい。ところが今回、話の続きを阻んだのは報道陣ではなく会場内の民間人でもなく、真横に立ってスーツをアピールしていたメアリー・ジョンソン大尉だった。 「メアリー大尉……? その、なにか」  さしもの将校も作戦の最重要人物による質問とあっては無碍にはできない。高品質に保たれたビジネスフェイスが崩れ去り、人間らしい焦燥を見せる。当の本人はそれを知っているのかいないのか、意を決したふうに言う。 「その従軍記者、私が選びたいわ」  再びどよめく会場。今度こそ絵になる台詞が聞けそうだと連中のスマートグラスが即時録画モードに切り替わる。 「だって、今から人を選んでどうこうなんてやっていたらまた何週間もかかってしまうもの。今日、すぐに作戦を実行すべきよ。敵に時間を与えていたらそれだけ対策する手間を与えてしまう」  戦略級魔法能力行使者に対策もなにもあったものか、と当然の突っ込みが頭をよぎるが、彼女の女優譲りのピンと張り詰めた声色がこの上なく動画映えするのも間違いない。言っていることも理屈の上では正論だ。そんな感じの考えが誰の脳裏にも描かれている間に、彼女の選考は終わり、すぐさま選考結果が公に通知された。 「そこにいる人、あなた。しわっぽい焦げ茶のジャケットを着ている。いや、あなただって」  びっと高らかに人差し指を突き出した方向が自分のいる位置にずいぶん近かったので、まずきょろきょろと左右を見回し、それから背後にも首を回したが『焦げ茶のスーツ』を着ている人物は見当たらなかった。  私以外には。 「ジョン・ヤマザキさん。あなたが私専属の従軍記者です」 --- 「では質問の続きを。これまでになんらかの軍歴、民間軍事企業での勤務経験、またはその他戦闘経験をお持ちですか?」 「いいえ」  淀みなく答える。 「紛争地域などでの取材経験は?」 「ありません」 「なるほど」  急きょ応対にあたった事務方の職員が私の脆弱なキャリアをスマートグラス越しにてきぱきと打ち込んでいく。空中に浮かぶ仮想のキーボードは装着者本人にしか見えないとはいえ、タイプングしている指の動きを見ていればだいたいなにが書かれているのか想像がつく。 「ちなみに、今回のオファーについてどのようにお考えですか?」  神経質に指がぴたりと静止して視線の先が私に向けられる。こうなったらやぶれかぶれだ。こんな大チャンスをふいにするライターがどこにいる。 「ええ、もちろんお受けするつもりです。確かに私はこの種の経験が浅いですが、誰にでも最初はあるものです。私の場合、たまたまそれが今回の作戦だったのでしょう」 「なるほど」  さらに何行かの文字を打った後、職員の彼女は脇から取り出したタブレット端末を差し出してきた。 「では、こちらに署名をお願いします。私ども国連組織は、今回の作戦の参加に際して被る損害、事故、怪我および疾病、後遺症、死亡等に一切の責任を負いません。いかなる民間保険でもこれらは補償されませんので前もってご了承ください」  殺風景なタブレットの画面に私は黙々とサインを刻みつけた。私の入っている保険はもともと歯科しかカバーしていない最安のプランだ。インフルエンザの治療薬に一〇〇〇ドル近い費用を要求する彼らが、戦地で負った怪我を補償するなど天地がひっくり返っても起こりえない。他にもいくつかのサインを機械的に施して、私は自身の権利を自らの手によって一枚ずつ剥ぎ取っていった。 「以上で事務手続きは完了です。現時点をもってあなたはメアリー・ジョンソン大尉の指揮下に入ります。作戦行動中は任務遂行の妨げにならないようご注意ください」 「せいぜい努力するよ」  基地の外ではすでに頭部、胸部、背面に大小のカメラを取り付け、戦闘用グラスを装着したの一個中隊が整列して待っていた。「PRESS」と大きく太字でペイントされた、規定の防護服に身を包んだ私はいつもより物理的に重い足取りでそちらへ近づく。件の彼女の指揮下に入っていても、TOAの領域内に入るまでは中隊の戦闘車輌に乗り込む手はずになっている。私の姿を認めると、さっそく四人いるそれぞれの小隊長が手短に挨拶をしてくれた。 「これであなたもコンテンツ化された一員ですな」  そのうちの一人、エドガー少尉が皮肉まじりに私のカメラを顎でしゃくった。 「我々は敵との戦いをコンテンツに、大尉は我々との活動をコンテンツに、あなたは大尉をコンテンツにする。持ちつ持たれつでいきましょうや」 「だとしたら、敵はなにをコンテンツにするんだろうな」  私のすっとぼけた疑問に彼は笑っていない目で、はは、と乾いた笑いを発した。 「やつらはそれが嫌だからああなったんでしょう」 「あいつらに『PRESS』なんて文字が読めるのかな」 「まあ、相手がなんであれ国際法ですからね」  最後に、いよいよ戦略級魔法能力行使者こと魔法少女、メアリー・ジョンソン大尉が姿を現した。公衆の面前での劇的な指名の後、私はすぐさま国連職員に取り囲まれてバッググラウンドチェックを受けさせられていたため一言もしゃべっていない。なんであれ真っ先に聞くのは「なぜ並みいる男性2.0たちを差し置いて私を指名したのか?」であるべきだが、どうしても印象的な人物を演じないと気がすまない私の職業病が災いしてか、実際に口から出たのはてんで関係のない話だった。 「いや参ったね。君のそのスーツは涼しそうでなによりだが、こっちは蒸し暑くてたまらないよ。私のと交換しないか」  暦の上では真夏を過ぎてもその暑さがやわらぐ気配はみじんもない。今日の気温も軽々と三〇度を越えていた。彼女はくすり、とはにかんだが大量の部下を前にした手前、表情を引き締めるのも早かった。 「でも敵から丸見えになったらあなたも困るでしょう」 「そうだな、クーラーの効いた戦闘車輌から一歩も出ないで済むと助かる」 「思ったよりやる気がなさそうね。今からでも別の記者に変えようかしら」 「じゃあ一人増やして外出役と留守番役で分けよう。僕が留守番役で、外出役のやつから話を聞く」  結局、適切な質問を繰り出せないまま彼女は一足先に作戦行動に赴いた。滑走路の手前から奥に向かって、徒競走のクラウンチング・スタートをする要領で駆け出すとあっという間に大空に飛び立った。目視できなくなるほど小さくなるまでに一分とかからなかった。  彼女が空を飛んだり、なにかを壊す様子はYoutubeのPR動画で何度も観たことがあるが、直に目の当たりにしたのはこれが初めてだ。ただのティーン・エイジャーにしか見えない彼女が戦略級兵器に変身した瞬間と言える。我々もさっそく各自の戦闘車輌に乗り込んで後を追った。先のエドガー少尉が手招きして呼んでくれたので、彼の隣に便乗する格好となった。  白黒黄色の大の男たちがたっぷり何人乗り込んでも、戦闘車輌のクーラーは隅々まで効いていて心地が良い。各自の歩兵と車輌の上部についたカメラはすでにストリーミング配信を開始している。とりあえず、エドガー少尉の胸元に向かって営業スマイルを送り込んでやる。「ハーイ、今回、作戦に同行することになったフリーライターのジョン・ヤマザキだ。彼らが今から連中をぶちのめしてくれる」  エドガー少尉はやや間を置いてから真っ黒な顔に白い歯をのぞかせ、苦笑いをした。 「”お前はなにをするんだ”ってツッコまれてますよ」 「ああ、やっぱりそのグラスにコメントが映っているのか」 「衛星から降ってくる戦闘情報の邪魔にならないよう直近のコメントだけですがね」 「じゃあ、この会話もLLMの助けを借りて成り立っているのかな」  私の意地悪な質問に、彼はさっと首を振りニカッと笑う。 「あんなもの戦闘にはなんの役にも立ちませんよ。ここではファックもシットもオープンフリーです」 「なるほどね、趣味が合いそうだ」 「さすが”魔法少女”に選ばれただけあって変わり者ですね」  おやおや、とわざとらしく身を乗り出す仕草をして核心に迫る。 「エドガー少尉は”魔法少女”に詳しいのかな。もしや訓練時から関わりが?」  しかし、そこはさしもの軍人。ガードは固かった。 「はっは、その手は食いませんよ。彼女に関することは我々はなにも喋りません。年金が惜しいですからね」  礫砂漠同然のごつごつとした荒道を進み続けて一時間、ようやくTOAの支配領域が近づいてきた。  TOAと近隣諸国との国境は隔絶されている。比喩ではない。敵方の魔法能力行使者が文字通り、彼らの主張する国境線に沿って全長数百メートルの絶壁を掘ったのだ。いくつかの場所には橋がかけられていて、陸路で通行したければそこを通る以外に手段はない。もちろん、そこには重武装の兵士たちが常時控えている。普段は入念なチェックを経た上で民間人の「入国」も許されているし、一時期は旅行がブームになっていたこともあるが、例の国連安保理決議が採択されてからは人通りが途絶えた。  国境線の数マイル手前で戦闘車輌が次々と停止する。灼熱の荒野に足を踏み出すと、さっそくエドガー少尉が部下たちに号令をかける。 「まもなくジョンソン大尉が橋の上の軍勢を一掃する。それまでは奇襲に備えて各自待機」  まるで頃合いを図ったかのように遠くの空がぴかぴかと光りだした。こんな白昼に落雷――というわけではなく、もちろん彼女が戦闘を開始する兆候である。しかしこんな遠目ではなにをしているのか分からない。  そういえば、彼女のボディカメラはもうストリーミング配信中に違いない。ポケットからスマートフォンを取り出して彼女のYoutubeチャンネルにアクセスする。画面上ではまさしく、墨を塗りつぶしたように漆黒の国境線に向かって彼女が急降下を始めるところだった。これみよがしに片手に集めた魔力の塊を見せつけるのは、おそらく視聴者に対するサービスなのだろう。ばちばちばちとスピーカー越しに爆ぜるその塊が、視界に橋が大きく映り込んだと同時に解き放たれた。  轟音。よくできたCGと比べるとなぜか嘘っぽく見える衝撃波とともに、橋の奥に控えていた小隊規模の兵士たちが一瞬で炭化した。  空中で静止した彼女が耳のインカムに向かって言う。 「0A、目標の排除が完了」  入れ違いに、スピーカーではなく近場に立っていたエドガー少尉もインカムに応える。 「1B、了解」  ふと目が合った彼は自嘲をにじませつつ言った。 「ま、ざっとこんなもんですわ。せいぜいお互いに無駄死には避けましょう」  今日は気の利いた返事を思いつくのが難しい日だと思った。 ---  かりかりに焼けた死体を戦闘車輌で轢き潰しながら無事に「入国」を果たした後、いくつかの渓谷地帯を抜けるとごく平穏そうな地方都市の風景が見えてきた。「ここからは徒歩で行きましょう。スポンサーのためにね」と言う少尉の言葉に従って、ついに快適な社会に今生の別れを告げる。どれほどの速度で滑空したのやら、舗装路に鉄球をぶつけたようなクレーターをズドンと穿って彼女も降りてきた。さっそく私はボディカメラをオンにする。配信関連の手続きは設定済みらしいので、これでもう全世界数十億人の前に彼女の姿が映っているはずだ。 「皆さんご存知の魔法少女ことメアリー・ジョンソン大尉です。実は彼女は体重が5トンもあるのでご覧の通り、コンクリートにへこみが――」 「ちょっと、なに適当なこと言ってるの」  表情こそ基地の頃と同じく笑っているが、目は全然笑っていなかったので全速力で後ずさった。 「すいません、嘘です。本当は公称通り五二.四八キログラムです」  時計とSNSを連動させて自動投稿しているであろう数値を下二桁まで読み上げるとようやく彼女は落ち着いた。  先頭を魔法少女、最後方を戦闘車輌で固めての行軍が始まった。私はストリーミング配信のために二番目の位置を歩いている。もし敵の掃射が守られていない首より上に当たったら即死だが、飄々と言う「弾より私の方が速いから」との力強い声に説得されて、なんとかこの立ち位置に踏みとどまっている。  途中、オオバナミズキンバイが咲いたこじんまりとした公園をくぐり抜けて、さらに別の大通りに進んだ。この地の住民は先日までに配信された緊急避難メッセージを読んで逃げたのかも知れない。念には念を入れて無人機で紙のビラを撒く案もあったが資源の無駄遣いとの批判を受けて中止された。  灼熱の日差しがじりじりと首筋を焼き焦がす。周りの兵士たちの小銃は神経質に水平に保たれている。今ここで、奥の街角からひょいと現地住民が顔を出したらどうなるだろうか。国際連合安全保障理事会決議一六七八は非武装の者の殺傷を認めていないものの、この地で武装していない民間人は珍しい。文言に「非戦闘員」や「非軍属」と記されなかったのはそのためだ。わずか数秒の間に区別がつくのは武器を持っているかどうかくらいしかない。  それにしても全員無言でずっと魔法少女の背中を映し続けているのは撮れ高が良くないんじゃないか。太陽に照らされて光り輝くブロンドのロングヘアーを眺めていると、頃合いよく彼女が振り向いた。カメラに向かって満面の笑みでポース。決して私に対してでなくともそこはかとなく気分は良い。 「皆さん、ここが敵地の最前線です。大人の人たちには懐かしい街並みかもしれませんね、この通り今は不正に占領されているので閑散としていますが、解放された暁にはまた賑わうでしょう。ほら、ヤマザキさん、振り向いて」  今の私は全身が立脚みたいなものなので、カメラアングルを大きく変えるには身体ごと動かざるをえない。言われるままにすると大粒の汗を額に浮かばせながら歩く兵士たちの列が見えた。 「全隊、止まれ!」  見計らったように彼女――ジョンソン大尉――が低い声で命令すると、総勢一〇〇人いる男たちの塊が一斉にぴたりと止まった。 「これより四個小隊に別れて作戦区域内を探索する! エドガー少尉は私と直進、ラング少尉は東、ブラッド少尉は西、ウェイ少尉は南側で戦闘車輌を保持して待機! 非武装者への攻撃は避けよ!」  手短な応答を経て一つの大きな塊が四つに分裂した。まるで繰り返し練習したかのような洗練されたすばやい再編成は、実のところこんな場所で行う必要性はまったくない。本当に繰り返し練習して準備した「視聴者サービス」なのだろうとひとりでに納得した。  それでも私の視界には映らないコメント欄が湧きたち、投げ銭が毎秒飛んでくる様子がありありと想像できた。  散開が済むと身軽になった小隊の進軍速度が速くなった。後ろ向きでカメラに向かって話しながら器用に歩く魔法少女は、後ろに目でも生えているかのような正確さで壁や曲がり角をひょいひょいと避けて進む。なにも知らなければ旅行系のYoutuberが年相応のコメントをしているようにしか見えない。  事態が変化したのは大通りを抜けて住宅街に入り込んだ辺りだった。ここまで来るとおおよそみんな逃げたのだろうと当たりがついて、歩兵たちの警戒心はかなり緩んでいた。他の小隊からの報告も「異常なし」が続いて、過酷な戦場はのどかな小旅行の風景に変化しつつあった。  そんなところへ、まったくなんの前触れもなく近くの家の玄関ががちゃり、と開いて老婆が表に出てきた。その季節外れの厚着をした老婆が二歩、三歩と歩いたところで歩兵たちはようやく敵地にいる人間の姿を認識した。  一斉に小銃が老婆に向けられる。誰も彼もが「フリーズ」だとか「オンザグラウンド」だとか叫び散らかすものだから、逆になにも相手に伝わらないように思われた。  しかし老婆は敵国に対する敵愾心が旺盛なのか、はたまた単純に耳が遠いのか、歩みを止める気配はなく我々の行く手を横に通り過ぎようとしていた。 「ちょっと、ちょっと。みんな落ち着いて。お婆ちゃんでしょ」  上滑りした雰囲気を取り繕う口調で、前にメアリー大尉が立ちふさがった。非武装者の、それも老婆に武器を向ける歩兵の集団など、まったく好ましい構図ではない。 「ですが――」 「私に任せて」  数億人規模のサブスクライバーの手前、堂々とした口調でエドガー少尉を牽制しつつ、彼女は単身で十二フィート先の老婆に近寄る。 「お婆ちゃん! あの!」  ほぼ怒号に近い声量で声を張ると老婆はゆっくり首を傾けて顔を合わせた。 「はあ?」  聞こえているかどうかも定かではない気の抜けた返事をする敵地の非武装者を見て、兵士たちの間に安堵が広まった。 「なんだ、マジでただのボケ老人かよ」  束の間。二番目に立っていた私には彼女が息を呑む声が聞こえていた。  なにかが起きる。  ピッ、ピッ、と馬鹿にしたような電子作動音が老婆の服の中から響く。刹那、私は彼女の目がティーンエイジャーのそれから凍てついた殺人兵器に切り替わるのを見た。放たれた銃弾を手で掴めるほどすばやく動く手でも、起爆直前の爆弾を人体から取り外すのは不可能だ。記者としての性と命を守ろうとする本能がせめぎ合う。  結局、前者を選びかけた私は横にいた名もなき歩兵に押し倒されて地面に伏せる格好となった。  それでも視界にはコマ送りのように映っていた。手の先から魔法の刃を展開して、老婆の上半身は瞬時に両断された。幾分かコンパクトになった人間爆弾を抱きかかえて彼女も奥側に倒れ込む。  そして爆発。すさまじい衝撃波が襲いかかった。鼓膜が頭ごとぶっ叩かれて私の身体は抑えつけられているにも関わらず、覆いかぶさった歩兵と一緒に後ろへ転がされた。横転する視界の中でも彼女の背中がたびたび見えた。両脇から吹き出た閃光がそこかしこに飛び散り、近くの民家にぶつかると蒼色の火柱を上げた。鋭く上がった火の手がみるみるうちに家々を包み込んでいく。  間髪をいれずに起き上がった魔法少女が絶叫する。 「みんな、怪我はない!?」  一体どこまで役者なのか。破裂した老婆の臓腑を一身に受けた彼女のスーツは一面おどろどろしい色彩でデコレーションされていた。しかし、彼女自身にはまったく怪我をした様子がないところがかえって悲壮的でもあり、神々しくもある。そんな若き戦場の女神が取り乱しもせずやるべきことをやって、第一に味方の心配をする。いくらなんでもできすぎだ。スクリーンの前で見ていたらきっと冷笑していただろう。彼女の判断力次第で私たちも等しく人肉ミンチになっていた立場でなければ。  休んでいる暇はなかった。他の小隊から続々と敵襲を報せる無線連絡が入ってくる。無線越しに聞こえる爆発音と、遠くの爆発音が幾度となくシンクロした。 「ああああああああ……!!!」  突如、大通りの角から一斉に人々が走りこんできた。一様に土気色の肌をした彼らの胸周りには、もはや堂々とLEDを点滅させた爆弾が巻き付けられてある。この地に戦略級魔法能力行使者が降臨して以来、繰り返し行われている敵方の基本戦術だ。  充填魔力による自爆攻撃。 「シーット!」  誰かが大声で叫んだ。  今頃、映像と音声の自動解析を担っているファッキンAIシステムが、せかせかと我々のストリーミング配信のための警告を生成していることだろう。このストリームには不適切な表現が含まれています、このストリームには暴力的な表現が含まれています、このストリーミングには……ワンタップで飛ばされる多言語対応人工音声付き警告文のために、今日もAWSやAzureやGCPのLLMオンデマンドサービスが唸りを上げ二酸化炭素を大量に撒き散らす。法的合意の言質は一〇〇ヘクタールの森林よりも重い。  実のところ、自分が戦場に来ていると実感したのはこの時が初めてだった。 ---  充填魔力は火薬とは異なり刺激に対して反応するとは限らない。すべて魔法能力行使者の遠隔操作によって起爆する。本来は肉体から飛ばして行使する魔力を、離して置いて後から発動させている。どれほどの距離で、どれほどの量の、どれほどの個数を管理できるかは魔法能力行使者の等級次第だ。むろん、国境線を物理的に引くほどの持ち主の手にかかれば一〇〇や二〇〇の充填魔力をコントロールするくらい造作もない。  その圧倒的な光景を今、まさに目の当たりにしている。  小隊の総力をあげた銃撃の雨が迫りくる人間爆弾たちを蹴散らしていく。前後に怒号を飛ばしてすばやく後退しつつも面制圧の手を緩めない。それでも肉の壁の圧力に根負けしかけた時、空から彼女が魔法を投げつけて前方の敵を消滅させる。私は身をかがめつつ、懸命に胸をそって魔法少女の働きぶりをレンズに捉え続けた。当面の脅威が去ると彼女はまた別の小隊の援護に向かい、順繰りで対処を重ねる。時々、敵方の魔法能力行使者が距離間隔を誤ったのか早期に起爆した人間爆弾が周りを巻き込んで蒼の火柱を吹く。  何百人もの死体が平凡な街並みの街路に積み重なり、意思なき人間爆弾が動かなくなった他の爆弾につまずいてこける頃合いになると、戦いはようやく消化試合の様相を帯び始めた。  戦闘車輌もやがてバックアップに駆けつけ、前後をそれぞれ二台の車体で塞ぐ陣形が完成した。銃座に備え付けの機銃もなかなかに物を言い、最後の方は魔法の航空支援に頼らずとも敵を消耗させることができた。  静寂が訪れて、ひと心地つくと全小隊が結集して点呼が始まった。私のいるエドガー小隊は幸いにもファーストコンタクトの時点でメアリー大尉と一緒にいたおかげで死傷者ゼロだったが、他の小隊には二、三人の戦死者が現れた。他に数名の重傷者はすぐさま車輌に収容され、来た道を戻って母国へと帰っていった。 「あいつはネクロマンシーって呼ばれているんですよ。作戦上の識別名」  横向きに駐車されたままの車輌に背中を預けたエドガー少尉が、先進国では実質有罪的扱いの紙タバコに火をつけて言った。まるで今さら思い出したかのような口ぶりだった。  死体を蘇らせるからネクロマンシー。この上なく単純な名付けだ。そう、入り口で彼女が屠った部隊も、さっきまで戦っていた軍勢も、おそらくはさっきの老婆も――最低一回は死んだ経験のある人々だ。この地で一度目の人生を生きている人間は、敵方にそいつが現れてからは珍しい存在になった。  地上軍の展開が中止されたそもそもの理由も、蘇って襲いかかってくる連中の相手をさせられる状況に厭戦気分が増したせいだった。銃撃を受けて蜂の巣にされても魔力を吹き込んでやればたちまち生き返る。復活した際に脳味噌がカピカピになっていたり、漏れ出ていて機能しなければ、こうして爆弾に使われる。  おかげさまで先の空爆で失われた人員もことごとく復活。人間爆弾の在庫として第二、第三の人生を歩んでいる。ついさっきまた死んだ連中の中にも含まれていたに違いない。一連の戦術が功を奏して今日この日まで戦場の有利は彼らに大きく傾いていたが、代わりにこの国連未承認国家に支持を表明していた奇特な国々についに手のひらを返される顛末と相成った。いくらなんでも死人と握手はしたくないらしい。 「ずいぶん飄々としているな。危うく死ぬところだった」  エドガー少尉は持ち前の白い歯を浮かべてかぶりを振った。カメラに映っていても平気で紙タバコを地面に投げ捨てる豪胆さがそのまま台詞に現れる。 「でもやつら、銃を撃つのが下手くそですから。一二年前の方がよほどきつかった。どうであれあいつらは一回目の人生をまっとうするつもりで戦っていた。今のやつらは違う」  最後の方には軽蔑の色も滲んでいた。意図せず感情がこもっていたことに彼自身も気づいたのか、取り繕うように「俺を撮っていてどうするんです。あなたの仕事は彼女の取材でしょう」と死体の山の前に佇む魔法少女を指差した。  それもそうだ。実質的に初の交戦を終えた英雄にインタビューをしなければならない。