--- title: "戦略級魔法少女合同寄稿作品「たとえ光が見えなくても」第一話先行公開" date: 2024-04-21T20:23:36+09:00 draft: false tags: ['novel'] ---  今でも思い出に残っているのは、指先に残るわら半紙の感触。言われるままにピンと立てた人差し指を滑らせると、横にいるお父さんが耳元に語りかけてくれる。「そうら、そこがゲオルゲン通りだ。そこを右に曲がると――」私は言葉を遮って大声で答えた。 「レオポルト通りね!おしゃれなお店がいっぱいあるの」 「そうだ、いつかお前もそこで立派なドレスを買ってもらえるようになる」  耳の奥底からあまりにも聞き慣れすぎた高周波音が徐々に近づいているが、まだ私は喋っている。 「でも、私が着たってしょうがないわ。どうせ分からないもの」 「そんなことはないよ。立派なお洋服は着るだけで分かるんだ」  記憶の中の私はいっそう声を張り上げる。 「じゃあ、今、欲しい」 「今は……難しいかな。そういうお店はどこも閉まっている」 「どうして?」 「……みんな、他のことで忙しいんだ。さあ、指がお留守だぞ」  私の指先がぐんぐんと先に進み、ルートヴィヒ通りを過ぎる頃には高周波音は耳を覆い尽くさんばかりだった。 「ずっとだ、そう、ずっと、さあ、広場に着いたぞ。どこだか分かるかな?」  思わず、私は轟音に負けないように大声で叫んでいた。 「マリエン広場!私と同じ名前の――」 <ねえ、マリエン、どうしたの> 「あっ……ごめんなさい。ちょっと、夢を見ていたみたい」 <こんなひどい状況で居眠りなんて、よほど自信があると見ていいのかしら>  リザちゃんのつっけんどんな声が束の間、私の頭蓋を満たす。 「別に、そういうわけじゃあ――」 <敵、もう、来るわ。また命があったら会いましょう>  ぶつ、と両耳を覆うカチューシャみたいな形のインカムがノイズを発して、それきり音が途絶えた。途端に、意識の外に追いやられていた高周波音が舞い戻り、左右に散らばった。漆黒の視界の中に仮初の点描がぽつぽつと描かれはじめる。私は音でものを見る。見たところ、一〇〇機以上はいる。  相手はまだ私には気づいていない。気づくはずもない。  空中にぽつんと単機で佇む魔法能力行使者の姿は目視ではそう簡単に捉えられない。  いつもの調子で右腕から手の先に流れる波動のイメージを思い描く。すると、迸る魔法の奔流が肩口から腕を伝い、手のひらに集まる感覚が宿った。うわんうわんと唸りをあげて急接近する群体に腕を伸ばして孤を描くように光線を放出する。  掛け声はなるべく忘れてはならない。言うか言わないかで威力が気持ち違う。 「びーっ!」  きっと、壮大な景色なのだろう。さっきまでの高周波音がたちまち爆発音に取って代わって私の耳元を彩った。闇に包まれた景色の向こう側に、めくるめく幻想世界を想像した。  今ので半分くらいは撃ち落とせたと思う。私は空気を柔らかく蹴飛ばしてふわりと上昇した。気流が身体の上から下に通り過ぎてスースーする感覚が、実はけっこう気に入っている。  十分な距離を得た後、今度は鋭角に蹴り出して勢いよく前へと滑空する。脚に備えつけられた革製のホルスターからステッキを取り出しておく。ステッキは指先より口径が大きく、手のひらよりは小さい。だからほどよい指向性を持って魔法を撃ち出すことができる。  崩壊していく群体の音が散乱する一方、まだいくつもの機体が合間をすり抜けていこうとしていた。とりあえず、左に一機、右に二機。まず右に向かってステッキを振る。手からステッキを通って現れた魔法が鞭のようにしなって動き、遠ざかろうとする戦闘機を切り刻んだのが伝わった。忘れずもう一機も処理する。  続いて左側に取り掛かろうとしたところ、ばりばりばりと無作法な機銃の音とともにオーバースカートの生地が破れる音がした。金属の塊が身体を通り抜けて、魔法の力がずるずると抜けていく感覚がした。  にも拘らず、とてつもない怒りに私は突き動かされた。  許せない!下ろしたてのドレスだったのに!  空を蹴って位置取りを変えても、戦闘機のプロペラ音が衰える気配はなかった。追撃してきている。あてずっぽうの射撃ではない。確実に狙いをつけている。ついに敵方は私たちを視認したのだ。  だが、それほどまでに近づいてくれるのならかえってやりやすい。プロペラが回る高周波音と、機銃の残響と、機体が身体のすぐそばを横切って空気を押しのける感触が、一つの像を結んで漆黒の視界の中に輪郭を描き出した。 「そこにいるのね」  私は輪郭の上をめがけて飛び込んだ。ロングブーツの底が、確かな金属質を捉える。今、自分は戦闘機の上に立っている。  前方で人の声がした。英語なので意味は分からない。拳銃らしき銃声もする。たぶん私を撃っているのだろう。  幸いにも銃撃音の角度から操縦手の正確な位置が把握できたので、ステッキを握っていない方の手でお返しをする。人差し指を突き出して、親指を立てる。他の指は折りたたむ。魔法の拳銃の完成だ。 「ぱん、ぱん」  がくん、と金属の地面が大きく傾ぎ、前のめりに倒れ込んでいく。主を失って墜落する戦闘機から離脱して、周囲に気を配る。  すでに何十もの機体を落としてるのに、辺りの高周波音はうるさくなる一方だった。鉄の蚊の鳴く声が第二陣、第三陣の襲来を容赦なく告げる。  私は再び手のひらに魔法を収束させた。あたかも騒音を打ち払うように死を招く円弧を作り出す。 「びーっ!」  ところが、この魔法の砲撃はてんで群体に効果を与えなかった。せいぜい五、六程度の不運な機体が魔法の切れ端にぶつかって落ちた程度で、未だ優勢を保つ風切り音が爆発音を切り裂いて次から次へと私を追い抜いていった。  ああ、私、傷ついているんだ。力が出せない。  それでも視界の中で現れては消える音の軌跡を追って、懸命にステッキを振りかざす。手応えのなさが焦りを加速させる。  このままではまた街が空爆される。 「お願い、お願い」  一体、誰に祈っているのか――必死に軌跡の後に追いすがってステッキを振り続ける。時々聞こえる少々の爆発音にも、数多のプロペラ音は揺らぐことなく彼方へと消えていく。 「お願いだから、落ちて」  そんな文字通りの神頼みの声を拾ったのは、リザちゃんだった。 <どいて>  私はばたばたとはためくスカートを抑えつけながら、ほぼ垂直に降下した。全身が絞られるような圧力に耐えた数秒後、空のどこかでぴたりと静止する。  直後、頭上で今日一番の大花火が花開いた。形は見えなくても音の大きさがすべてを物語っていた。 「うわあ、リザちゃん、すごい」  惜しみのない賛辞に、リザちゃんは鼻息一つで答えた。 <ふん、まだ油断するには――>  ぶつ、と音が途絶えた。いきなり通信を切るのは彼女の癖だが、いくらなんでも会話の途中に切ったりはしない。  暗闇の内で急速に答えが湧き上がる。  敵に襲われているんだ。  今度は急上昇の圧力に耐えなければならなかった。慌てて舞い上がったせいで、両耳を覆うインカムが外れた。背負っている無線機の上でしきりに跳ね返って暴れた後、ケーブルがちぎれてどこかへと吹き飛んでいった。 「リザちゃん!」  虚空に向かって叫ぶ。どこに顔を向けても私の目は決して光を映さない。  しかし、  神にもたらされた魔法の力だけが、普通は見えないはずのものを見せてくれる。  漆黒に沈む奥底に、か細い線が見えた。その線はじぐざぐにうねって私の方へと向かって伸びている。空を飛びながら目で追うと、それは私の背中の無線機と繋がっていた。  この先に、リザちゃんがいるんだ。  揺れ動くじぐざぐの線を追いかけて、急旋回、急降下。辿り着いた先はほとんど街の真ん中だった。爆発音と、炎が燃え盛る音、人々の絶叫が絶え間なくこだまする中で、ようやく線の末端を捉えた。  爆撃で暖まった空気による上昇気流がスカートの裾を激しくたなびかせる。ぐるぐるとあてどなく回る線の有様は、明らかに彼女が何者かに追われている状況を推測させた。どういうわけか彼女は一向に魔法を撃とうとしない。  私は急いでステッキを振りかざそうとして――輪郭を捉えきっていない敵にはまず当たらない――やり方を変えることにした。  限られた力を足元の推進力に替えて一気に距離を詰める。蚊のようにうるさい高周波音が視界に像を描く。まだだ、まだ足りない。もっと正確に聞かなくちゃ。  触れられる距離まで接近すると、全体像が明らかになった。戦闘機は私にお尻を向けている。  ステッキに込められた力がその先端に刃を灯す。魔法の剣を戦闘機の胴体に深く突き刺すと機体はたちどころに推力を失った。 「リザちゃん!」  崩れ落ちていく戦闘機の輪郭を追うのも程々に、唯一の友達の名前を繰り返し叫んだ。焼ける街の熱が発する生暖かい風を受けながら声が枯れるまで叫んでいると、下の方で小さく声が返ってきた。 「ここよ、私は、ここ」  さっそく体勢を変えて降下する。どこかの屋根の上に落ちていたらしい。着地して声のする方へと駆け寄って顔に触れると、すぐにリザちゃんだと分かった。頬をなでると、指先が少しざらざらする。 「ああ、良かった、無事で」 「でも、またしくじったわ、私たち」  街が燃えていた。人々が叫んでいた。悲鳴と怨嗟の声の中に民族の誇りは見られず、ただ手負いの獣に似た嘶きがあるばかりだった。 「とにかく、基地に帰らないと」 「そうね、ところで、申し訳ないけど――」  声の調子から薄々分かっていた。だから魔法が撃てなかったんだ。頬から首、首から肩口を指先で伝っていくと、その先がなかった。 「ちなみに、脚もどっかいっちゃった」 「おんぶしていくよ」  私は背中の無線機をぞんざいに下ろすと、代わりに彼女を背負った。残っている方のオーク材の腕からはよく燻られたソーセージみたいな匂いがした。無線連絡は彼女のインカムを使ってせざるをえない。 「帝国航空艦隊、マリエン・クラッセ、リザ・エルマンノ両名。戦闘不能により、ただいま帰投します」  ほどなくして管制官から応答があった。 <二人ともよく頑張ってくれた。帰投を認める。アーリア民族に勝利をもたらす日を願って。ハイル・ヒトラー> <ハイル・ヒトラー> 〝**一九四六年**三月七日。親愛なるお父さんへ。ミュンヘンは相変わらずひどい状態です。私の身体は穴だらけ、友達の子もまた手足がもげました。だけど、へっちゃらです。だって怪我はどうせすぐに直るし、彼女の手足は木でできていますから。苦しみは分けっこできるのです〟  たとえ光が見えなくても。