From 2e3ca780197490c9b20dcf55e7d4fdbabc92bfae Mon Sep 17 00:00:00 2001 From: Rikuoh Tsujitani Date: Sat, 14 Oct 2023 09:23:57 +0900 Subject: [PATCH] fix --- content/post/Entering.md | 22 +++++++++++----------- 1 file changed, 11 insertions(+), 11 deletions(-) diff --git a/content/post/Entering.md b/content/post/Entering.md index 44bb1bc..09e630c 100644 --- a/content/post/Entering.md +++ b/content/post/Entering.md @@ -10,16 +10,16 @@ tags: ['novel'] 「うえーい」  遠くの方でガキ大将のバイソンがスツールを高速回転させて、取り巻きとはしゃぐ大声が聞こえた。さっそく先生はのそっと腰を浮かせて注意に向かったが、このぶんだと彼の場所までたどり着く前に定年退職を迎えそうな印象を受けた。案の定、バイソンの悪ふざけを皮切りに治安が乱れて、ちらほらと雑談を交わしたり立ち歩いたりする子たちが現れはじめた。 「ねえ、どっちから先に聴く?」 - 一方、千佳ちゃんはあくまで授業に倣う姿勢を崩さず、僕も連中と一緒になって騒ぐ道理などみじんもないと思っていたので「ウーン、じゃあ僕が」と答えた。親切にも彼女が広げてくれていたページの図解を頼りに聴診器を身に着けようとすると、そこへつかつかと足早に別の子が歩いてきた。 + 一方、千佳ちゃんはあくまで授業に倣う姿勢を崩さず、僕も連中と一緒になって騒ぐ道理などみじんもないと思っていたので「ウーン、じゃあ僕が」と答えた。親切にも広げてくれていたページの図解を頼りに聴診器を身に着けようとすると、そこへつかつかと足早に別の子が歩いてきた。  唇を一文字にぎゅっと結んで迫るその子は、あたかも決闘を挑むかのような面持ちで千佳ちゃんに短く言った。 「どいて」  これは明らかなる命令である。お願いではない。突然降って湧いた上下関係に千佳ちゃんが動揺していると、その子はやや鋭角な目元をさらに釣りあげてキッと睨んだ。じきに雌雄が決したらしい――二人とも女の子だけども――千佳ちゃんはおずおずと立ちあがって脇にのき、代わりに件の子が勢いよくどすんと座った。  改めて正面から見ると、僕はこの子のことをだんだん思い出してきた。肩までかかる長いまっすぐな髪の毛に足を組んだ乱暴な姿勢の取り合わせは千佳ちゃんとはなにもかも対照的だ。間違いなくこの子は回転式スツールをわざわざ手で抑えたりしないし、立って自分の姿勢を変えたりもしない。 「ほら、さっさと聴診器をつけて」 - そんな彼女と出会ったのは、などと頭の片隅で回想を並走させながら、僕は鞭で打つようなぴしゃりとした声に急かされて胸を張る彼女に聴診器をあてがった。すると、耳に伝わってきたのは意外にもか細い心臓の鼓動だった。驚いて目を上げると尊大そうな一文字の口元が映ったが、やはり心拍は弱々しかった。 + そんな彼女と出会ったのは、などと頭の片隅で回想を並走させながら、僕は鞭を打つようなぴしゃりとした声に急かされて胸を張る彼女に聴診器をあてがった。すると、耳に伝わってきたのは意外にもか細い心臓の鼓動だった。驚いて目を上げると尊大そうな一文字の口元が映ったが、やはり心拍は弱々しかった。 「ちょっと、なんとか言ったらどうなの」 - 片耳で微かな鼓動、もう片方の耳で鞭で打つような声を聴いた刹那に、僕はどうしようもなく形容しがたい感情に侵された。答えあぐねているうちにその子は「あーもういい!」と座った時と同じ勢いで立ちあがり、ずかずかと遠ざかっていった。まだ僕はなんらかの未知の感情に侵襲された感覚を味わっていて、我に返ったのは千佳ちゃんに「ねえ、大丈夫?」と声をかけられた時だった。 - ほどなくして千佳ちゃんの心臓の音も聴くと、たちまち力強い和太鼓のごとき響鳴が頭蓋を満たした。目をやると彼女は鮮やかな緑のスカートの両端を手でぎゅっと掴んで、恥ずかしげに笑みを浮かべている。なぜだか僕はこの瞬間、千佳ちゃんに対する関心が急速に薄れていくのを感じた。 + 片耳で微かな鼓動、もう片方の耳で鞭を打つような声を聴いた刹那に、僕はどうしようもなく形容しがたい感情に侵された。答えあぐねているうちにその子は「あーもういい!」と座った時と同じ勢いで立ちあがり、ずかずかと遠ざかっていった。まだ僕はなんらかの未知の感情に侵襲された感覚を味わっていて、我に返ったのは千佳ちゃんに「ねえ、大丈夫?」と声をかけられた時だった。 + ほどなくして千佳ちゃんの心臓の音も聴くと、たちまち力強い和太鼓のごとき響鳴が頭蓋を満たした。目をやると鮮やかな緑のスカートの両端を手でぎゅっと掴んで、恥ずかしげに笑みを浮かべている。なぜだか僕はこの瞬間、千佳ちゃんに対する関心が急速に薄れていくのを感じた。 --- @@ -55,7 +55,7 @@ tags: ['novel']  出だしは友達に呼びかける感じの朗らかさだが、すぐ後に「十秒で出てこないと前歯全部折るぞ」と続き、間延びした音程のカウントダウンが開始された。取り巻きたちもげらげらと笑いながら唱和する。否が応もなく、僕はノートパソコンをモジュラーケーブルが繋がったまま閉じて、リュックに突っ込んで隠した。街よりも東京よりも広いグレーの公衆電話ボックスの中の世界には、鍵がついていない。意地を張って籠城を決め込んでも僕を引きずり出すのにそう手間はかからない。  這うような前のめりの姿勢で電話ボックスから出ると、途端にむわっとした夏の空気と虫の鳴き声と土の匂いと地獄のカウントダウンが一斉に襲いかかってきて、僕はめまいを覚えた。「出た、出たからやめてくれよ」そう言うのが精一杯だった。なにをやめてほしいか具体的な言及は避けた。殴るなと言えば殴られるし、壊すなと言えば壊されるに決まっているからだ。 「田宮、お前こんなとこでなにしてんだ?」 - 左右に取り巻きを引き連れてバイソンが眼前に立ちはだかった。二十センチもの身長差はどうあがいてもこちらになすすべがないことを思い知らせてくれる。 + 左右に取り巻きを引き連れてバイソンが眼前に立ちはだかった。二十センチもの身長差はどうあがいてもこちらになすすべがないことを思い知らせてくれる。取り巻き連中は人並みの背丈だが、少なくとも僕よりは高い。 「あー……ちょっと休んでて」  僕は曖昧に答えた。正直に答えても事態が好転する余地はない。 「ふーん、お前、こんな山とかに来るようなやつだったっけ」 @@ -83,16 +83,16 @@ tags: ['novel']  彼女はさらっと言ってのけると、グレーの公衆電話ボックスを見回した。  僕は「インターネット」という単語が自分以外の子どもから発せられたのをこの時初めて聞いた。それを発したのが僕のような子ではなく、男のいじめっ子をグーで殴り倒す女の子ときたものだから二重の驚きだった。あっけにとられて彼女を凝視していると表情を読まれたのか「あたしがインターネットを知ってちゃ悪いっていうの?」と口を尖らせた。 「悪くないよ、悪くないけど……他に知っている子なんてどこにもいなかったから」 -「それはまあ、私もそうかも」 +「それはまあ、あたしもそうかも」  山あいにふうっ、と風が吹き込んで床に散乱したパソコン雑誌がぱらぱらとめくれた。すると、彼女はまるで風に負けたかのようにふらついて、電話ボックスにもたれかかる格好になった。 「あたし、家に帰らなきゃ」  さっきまでの勝ち気な態度とはうってかわって小さい声でそうつぶやくと、僕の返事を待たずに彼女は踵を返した。 - そう、あの彼女だ。僕の頭の片隅で並走していた回想が終了した頃にはもうとっくに保健の学年合同授業は終わっていて、身体は総合室からに教室に、授業は算数に変わっていた。それでも彼女のか細い心臓の震えと、鞭で打つような鋭い声のコントラストはしっかりと脳裏に焼きついていた。 + そう、あの彼女だ。僕の頭の片隅で並走していた回想が終了した頃にはもうとっくに保健の学年合同授業は終わっていて、身体は総合室からに教室に、授業は算数に変わっていた。それでも彼女のか細い心臓の震えと、鞭を打つような鋭い声のコントラストはしっかりと脳裏に焼きついていた。 ---  それからというもの、ことあるごとに彼女は僕を虐げるようになった。たとえば、今日は交換日記用のノートをひったくられた。「交換日記ってこんな感じのこと書くんだ」と感心しきりに言う彼女だが、ここは六年二組の教室で彼女は一組だ。他クラス侵入は星の数ほどもある校則違反のうちで下の下から上の上に重いとされている。 - というのも、担任の先生によって注意の度合いが大幅に異なるからだ。怒り狂って違反者を定規で叩きのめす恐ろしい先生もいれば、めそめそと泣き出して後の授業を放棄する先生もいる。後者の方はおのずと自習時間に振り替えられるため、当事者でなければむしろウェルカムだったりする。幸か不幸か六学年の担任の先生はいずれも下の下派で、そんな校則などもともと存在していないかのように振る舞っていた。だから僕が交換日記用のノートを奪われてあわあわしていても、彼女を止めてくれる人はどこにもいない。 + というのも、担任の先生によって注意の度合いが大幅に異なるからだ。怒り狂って違反者を定規で叩きのめす恐ろしい先生もいれば、めそめそと泣き出して後の授業を放棄する先生もいる。後者の方はおのずと自習時間に振り替えられるため、当事者でなければむしろウェルカムだったりする。幸か不幸か六学年の担任の先生はいずれも下の下派で、そんな校則などもともと存在していないかのように振る舞っていた。だから僕が交換日記用のノートを奪われてあわあわしていても、止めてくれる人はどこにもいない。彼女は男の子並に背が高い。  いや、いないことはなかった。たった今、千佳ちゃんを筆頭に模範的な子たちが勇気を振り絞って「あのう、ここは二組だよ?」と迂遠に注意してくれた。もっとも、彼女がひと睨みすると結局はみんな黙らされるのだが。  ただ、恩恵も一つあった。取り巻きたちが近寄ってこない。大柄で不良のバイソンはなにもしなくても先生が目を光らせているので、学校では特になにもしてこない。片や、力強さはなくても狡猾さに長けた取り巻き連中は厄介だった。すれ違いざまにすねを蹴ったり、バケツに汲んだ水をひっかけてくるのが彼らのやり口だった。  しかしそんな彼らも彼女が僕にまとわりついていると手の出しようがない。実際、一度いつの間にか逆にすねを蹴り返して撃退していたらしい。おかげで取り巻きたちはずいぶんおとなしくなった。でもこれはよく考えると、ハイエナに追われなくなった代わりにライオンに捕まったような状況だ。 @@ -231,7 +231,7 @@ tags: ['novel']  実のところ、僕は交換日記になにを書いたか具体的には覚えていない。千佳ちゃんが日々繰り出す膨大な文章と釣り合わせるのに必死になっていたからだ。面白いと言われれば嬉しい気もするが、よく考えたらほどほどに退屈させた方がむしろ簡単に交換日記を済ませられるのではないか。そんな邪な考えが頭をよぎった。 「ところで、田宮くんのご両親は? 私、まだご挨拶したことなくて」  いよいよ言葉に詰まった。少なくとも両親の片方は部屋でフロッピーディスクを差し替えている。今頃はその作業も終わったと思うが、それにしてもとっくにパソコンを諦めたはずの父さんがあそこまで熱心になっていたのはなぜだろう。そんなに楽しいものがあのフロッピーディスクに入っているのなら僕にも見せてほしかった。いや、願いが叶うのなら今すぐここにテレポートしてきてほしい。 -「あー、僕の父さんはそのう、あの」 +「あー、僕の親はそのう、あの」  その時、背後の自動ドアが開いて梨花ちゃんが姿を現した。 「ねえ、おじさんしかいなかったよ。誰も――」 「堺さん?」 @@ -326,7 +326,7 @@ tags: ['novel']  先生が先生に叱られている! 子どもの目にも両者の主従関係が本能的に理解できた。一転、教員はにっこりと笑顔を振りまいて「では、古井さん、どうぞ起立してお話してくださいな」と結んだ。実質、教室での実権を簒奪された担任の先生はうろたえるばかりだった。  指名された千佳ちゃんがすっと立ちあがった。総合室でのもじもじした態度が嘘みたいに決意が全身に張り詰めていた。 「ここ最近、六年生の校則違反には目に余るところがあります。下級生の模範となるべき最上級生の私たちには特にあってはならないことです」 - 持って回った話しぶりから、千佳ちゃんの演説が即興ではなく事前の準備を経たものであることがうがかえた。 + 持って回った話しぶりから、千佳ちゃんの演説が即興ではなく事前の準備を経たものであることがうかがえた。 「まず一つ目は今学期に決められたゲームセンターの利用制限ですが、先生やPTA役員の方々にお骨折り頂いているにもかかわらず、今でもご両親の同伴なく立ち寄っている子たちがいます」  一瞬、ぎょっとしたが続く苗字に僕は含まれていなかった。 「たとえば、私たち二組では梶くんと尾野くん」 @@ -563,7 +563,7 @@ tags: ['novel'] --- - 僕はノートパソコンとパソコン雑誌をリュックに詰めて、長靴を履き直した。雨は降ったり止んだりしている。具合の悪そうな梨花ちゃんにかっぱを被せて一緒に下山すると、あぜ道の手前に自転車が停めてあった。彼女は「私の家に来て」と言って、代わりに自転車を漕ぐように求めた。 + 僕はノートパソコンとパソコン雑誌をリュックに詰めて、長靴を履き直した。雨は降ったり止んだりしている。具合の悪そうな梨花ちゃんにかっぱを被せて一緒に下山すると、あぜ道の手前に自転車が停めてあった。彼女は「あたしの家に来て」と言って、代わりに自転車を漕ぐように求めた。  二人して泥まみれの格好で、カゴにリュック、彼女が荷台、僕がサドルに座って、雨に濡れた道を走った。湿った道路とタイヤが奏でるぬるぬるとした擦過音を聞いて、背中に彼女の体温を感じていると、だんだん心臓の錘が溶けていくようだった。  そこそこ自転車を漕ぐと、建ち並ぶ家屋の群れが見えてきた。彼女の家は中でもひときわ大きく、赤色のレンガ造りでできていた。自転車を下りて玄関に立つと、その瀟洒ぶりに気圧されて泥まみれでなくても入るのに気後れしそうな印象を持った。 「シャワーを浴びて、まずあんたから」